Echoの日記

ゆっくりと言葉を綴る日々

骨の折れる話

私はよく骨を折る。

せっせと人の世話をやくほうではなくて骨折のほう。

つい先日もキッチンで高いところにしまい込んだ夏用の水筒を取ろうと丸椅子に乗っていてバランスを崩し転倒。

どたっと床にしりもちをついた途端左足の甲にずきっと痛みが走った。

4か月ほど前、近所の公園のボランティア清掃に参加し段差を踏み外し捻挫をして1か月ほどかかってやっと完治したところなのに、そのまさに同じところを強打してしまった。

床に足を投げ出したまま座り込んで、なんだか泣けてきた。

もう若くないんだ。それなのにまたやっちゃった。

 

思えば5年ほど前だったか、夫が私の誕生日を祝い近所のフレンチレストランに連れて行ってくれた。お気に入りの店で食事と少し良いワインをいただき、近かったので徒歩で帰る途中、上機嫌で足をトンと歩道についた途端にやはり同じ痛さが走った。それほどヒールの高いパンプスではなかったのに足首を捻ったらしく、それはヒビではなく骨折ですねと整形外科のドクターから言われた。

 

もう若くはない。若くはないが60半ばにして複数回の骨折をしてしまい、今回はいよいよ医師から骨粗しょう症の治療を勧められてしまった。落ち込むなぁ。

 

十分に落ち込んだあと、私は母にこのことを伝えなければと思った。

からしてみればまだ若いはずの自分でもこうなのだから、本当に気をつけてねと恥を忍んで母にラインを送った。

 

そうしたら「あれ、あなたこの前も骨折しなかった?」と返ってきた。

「そうなの~」と返すと

「こわっ!」

「この間は喉の手術もして、今度は骨折。頼みますよ。」

その他ここには書けないような心無い発言も(苦笑)

 

いたわりの言葉もなく強気の発言のオンパレードに、言葉は悪いが(何たるくそババア!)とラインを送ったことを後悔した。人が痛い目をしているのに。

 

数日間、母からのメッセージには答えず放置しておいた。

気分が落ち込み骨折から精神を病むお年寄りの記事などを読むにつけ自分もこの先は転ばぬように下を向いてばかり歩いて生きるのだろうかなどと考えた。

横になってうとうとしているうちに、自分に何が起こったのか今大切なのは何なのか、いったい自分はなぜここにいるのかわからないような気がしてくる。

こうやって認知症が進んでいくお年寄りもいるというのを聞いたことがあるような気がする。そんなことをぼんやりと考えながら小一時間ほど昼下がりのまどろみに身を任せていた。

 

目が覚めるころ、私はどうせ家族に迷惑をかけるならせめて暗い顔をするのはやめておこうかなという気になっていた。

「ご飯作るの大変ならピザ取っていいぞ」という夫に「うーん。どっちかというと久しぶりにお寿司の方がいいかも」と言って「何、調子に乗ってんの?」と笑われた。

また転ぶかもしれないから、これからは足元に気をつけよう。よくなったら、あまり運動好きではないけれどたくさん歩くようにしよう。なるべく日に当たるようにして食べ物にも気をつけよう。できることはやってみて、それで何かあったら仕方がない。

 

それは、子供たちが幼かった頃、自分のできる努力はしなさい。納得がいくようにやってみてそれでだめだったらお母さんは何も言わないよと彼らに繰り返していた、その言葉と同じだと思った。

 

あれから母からラインがあった。おじゃこやイワシをたくさん食べなさいね、と。

母は戦争の頃広島県尾道市に住んでいた。広島に原爆が落とされたあとも、小さな爆弾が広島県内で順番に投下され、次は尾道市だと覚悟した日の翌日、終戦を迎えたそうだ。戦争を経験し、結婚後も家族やお金のことで苦労をして必死に生きてきた母は、私よりもずっと強い。彼女のあの言葉は、意地悪でもいじめでもなく、どんな苦労にも敢然と立ち向かう強い人の言葉だったんだなと、ふと気づかされた。

 

「ちょっと落ち込んでたけど、くそババア発言に大笑いしちゃったよ」と久々にラインを返すと「あら?傷つけちゃった?ごめんなさい。口は悪いけれど、また旅行に連れて行ってね。いりこもたくさん食べるのよ」と言ってきた。

 

母は強し。なんだかすっきりした。