先日、遅ればせながら映画 "PERFECT DAYS" を観てきた。公開日は昨年の12月だったし、主演の役所広司さんがカンヌ国際映画祭で最優秀男優賞を受賞されたこともあり、ご覧になった方も多いのではないだろうか。
ヴィム・ヴェンダース監督の作品は、もう40年近く前になるが 『パリ、テキサス』を観ている。
静かな、動きを抑制したような映像、何か少し物悲しい印象のある映画だった。
"PERFECT DAYS" の予告編を見て、やはりこの映画も静かに、心に染みわたる作品なのだろうなとの予感があった。
以下、ネタバレを含みます。
主人公の平山はトイレの清掃を生業としている。
独身の彼は東京スカイツリーのふもとの小さなアパートに住む。
平山は朝、近所の女性が道を掃く音で目を覚ます。
彼は布団を畳み、清掃用のつなぎに着替え、歯を磨き、顔を洗う。
家の前の自動販売機で、毎朝缶コーヒーを買う。
そして車の中で、カセットテープで音楽を聴きながら、「職場」である公共トイレに向かう。
夜は、布団の中で文庫本のページを繰りつつ、一日の疲れと共に眠りに落ちていく。
彼は黙々と公衆トイレを掃除する。必要な時以外はほとんど何も話さない。
映画は彼の単調とも思われるルーティーンを、ひたすら描き続ける。
彼の生きざまはまるで修行僧のようだ。
平山は、淡々と日々の仕事をこなし、昼には公園のベンチで、巨木の織り成す木漏れ日を旧式のカメラで撮影する。
ほとんど無言で便器を磨き上げる彼の仕事は職人の技を思わせる。
いいな、と思った。
高収入も、出世も、家族さえなくとも、毎日自らの体で、生きていくだけの収入を得て、特段褒められもせず、便器を清潔にし、それを保ち続ける。
時に心無い言葉を投げつけられたとしても、平山はものともしないだろう。汚れてしまったものを、きれいにしていけばいいだけだ。
しかし、人生にはやはりそれだけではすまされないものがある。
淡々と生きられるはずの彼が心を乱されるところは、いつもならきちんとハンガーに掛ける作業服を投げつけ、きちんと整理する写真を放り出し、コンビニで缶入りの酒と煙草を買い込んで無茶をするシーンに映し出される。
修行僧はどこへ行った?
あまり、ネタバレばかりするのもはばかられるので、彼の心を乱す何かについては、ここでは語らないことにしよう。
彼が、過去にはかなり裕福な暮らしを送っていただろうことは次第に明らかになるが、それを今の暮らしと比較して後悔するとか、そういうことではない。
ただ、彼の心を揺るがす何かはやはりあって、それでも彼はそれを飲み込み、生きていくのだと決める。
いいじゃないか。これが彼にとっての PERFECT DAYS。
ラストシーン。平山はいつもの車を運転している。感情を抑えた彼の少し悲しげな顔つきは、やがて泣き笑いの表情になり、東京の夜景は車窓を流れ続ける。
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この作品の中にはいくつかの公共トイレが登場するが、これらは全て公共トイレの暗い、怖い、汚いというイメージを払拭し、日本のおもてなしの心を届けようという呼びかけによって始まった THE TOKYO TOILET というプロジェクトのもと作られた。
渋谷区の17カ所に設置されたトイレは、安藤忠雄氏、隈研吾氏など著名な建築家、デザイナーらの手によるもので、それは美しく、機能的。汚すのもはばかられ、次に使用する人のためにきれいに使おうという気持ちにさせるたたずまいだ。
トイレ清掃というテーマでありながら、作品全編に美しい木々、東京の街並み、平山の読むフォークナーやカセットテープから流れる洋楽などがちりばめられ、「不潔」さを思い浮かべるシーンが不自然なほどなかった。
もっと言えば、平山の通う東京の下町情緒あふれる、銭湯や一杯飲み屋、
そこに置かれるテレビから流れる相撲の取り組みの映像。外国人にとっては、それこそ日本のホスピタリティーを感じることのできる魅惑的なプロモーションビデオのように思えなくもない。
それでもこの作品を見終わり、あぁ良かったと思わせるのはやはり役所広司さんの演技力によるところが大きいと思う。
最後に彼の浮かべた、涙と笑顔の入り混じった表情。
それが何を意味していたのかとても気になる。
彼は、自ら選び取った心の自由と Perfect days(完ぺきな日々)をこれからも続けていこうと改めて思ったのか。
それとも、もう一度自分の人生に係わる人々と心を通わせてみようと思ったのか。
そういう生き方に対する心持について考えさせられたことにおいて ”PERFECT DAYS” はじんわりと効いてくる映画だと感じた。