Echoの日記

ゆっくりと言葉を綴る日々

娘と平山、それぞれの PERFECT DAYS

先日、娘から電話があった。娘と言っても四捨五入すれば40歳だ。世間でよく言われる呼称は使いたくないので、立派な大人という表現にしておく。

その立派な大人の彼女の趣味は漫画を描くことで、暇を見つけては作品をオンラインや日本各地で催されるイベントで販売したりしている。

自作の漫画を送りつけては「どうかな?」などと意見を求めてきたりする。

その電話でも、ひとしきりそんな話をしたあと、数日前に映画 "PERFECT DAYS" を観た話をした。

 

この映画を観るにあたって私には気になることがあった。

主人公の平山の職業が公共トイレの清掃員であるということだ。

娘のアルバイトと同じである。正確には、娘は公共の建物の清掃全般を担当していて、その中にはトイレも含まれている。

もともと彼女は絵を描くのが好きで、美大を卒業と同時にある会社に就職しデザインを担当した。それ以前からだったのか、社会人となり色々なことがあったためなのか、彼女は精神を病んでしまった。

 

それでも彼女は幸いなことに善き伴侶を得て生きづらい中でもなんとか毎日を送っている。基本的には心優しい人間だと親からすると、そう見える。

 

私は以下の理由で彼女が清掃の仕事をしていることを応援していた。

彼女が唯一、心乱されず続けられていること。早朝に始まり昼には終わること。昼夜逆転や引きこもりなど彼女が陥りがちな生活を少し立て直せる。また体を動かせること。健康に良い。そして、清掃という人の営みの場を清潔に保つ仕事自体が、とても尊いものに感じられたからだ。

 

けれども、彼女がこの仕事に一番魅力を感じていたのは、誰とも話さず、一人で黙々とこなせばよい仕事だったからだった。

 

"PERFECT DAYS" を観るにあたって予備知識は極力入れなかった。

主人公の平山はなぜトイレ掃除という職業を選んだのだろう。彼は他にもある、あまたの職業の中から自分で選択をしてこの職業を選んだのだろうか。それとも娘の様に、他の場所ではまともに働くことができずこの選択しかなかったのだろうか。彼にはどんな事情があるのだろうかと気にかかった。

 

実際に映画を観ると、彼の過去の生活やトイレ清掃の職業を始めたいきさつは明らかにされていなかった。ほとんど他者と言葉を交わすことのないところを見ると、私の娘の様に自分のペースで黙々と働くことが気に入っているのだろうが、彼はトイレを訪れる子供や、公園のホームレスの男性、トイレにマルバツゲームを残し誰かと交流をはかろうとする心寂しい人達に暖かい視線を送る。

感覚的にではあるが、平山は過去に事情はあるにせよ、そこから離れる自由と、無心になれる仕事を選択する自由、そしてそこにすっと入ってくる人々との交流を得る自由を持っている人なのだなと感じた。

 

話はもどるが、娘との話の中、映画に出てくるトイレはとても洗練され、きれいだったよと告げると彼女は「え、そんなの考えられない」と絶叫していた。

彼女は色々な「職場」で清掃の仕事をしているが現在はわりと荒くれた感じの男性の多いところらしく、初めてその実情を聞き一瞬言葉を失ってしまった。

とにかく、娘にはあなたは偉いよと告げた。そして、自分の健康は自分で守るべくマスクと洗浄、消毒は怠らないようにねと言った。

「うん。わかってる。この間、手袋注文した~」と彼女は笑った。

 

"PERFECT DAYS" という映画に出てくる風景と、実際の多くの清掃員たちの職場には大きな隔たりがあるだろうことは、映画を見る前から予想していた。

でも、それはそれでよいと思っている。両方とも、私達の社会の現実だし、切り取り方はその作品ごとに違って当然だ。

 

平山の生活が、パーフェクトであれば娘の生活も彼女なりにパーフェクトだ。

願わくば、荒くれたおじさんたちが喫煙所の吸い殻や、空き缶を所定の位置に捨ててくれるようになったらいいのになと、思っている。

 


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