Echoの日記

ゆっくりと言葉を綴る日々

母の観た映画『生きる LIVING』| 揺れるブランコの思い出

先日新聞を読んでいて一つの記事が目に留まった。

「ブランコ 平安時代漢詩にも」というタイトルだ。

ブランコの最古の記録は紀元前3000年のメソポタミアのものと古い。日本では平安時代嵯峨天皇漢詩にブランコのことを詠んだのが最初だがそれ以来の記録はあまりなく、その後江戸時代になり「鞦韆」(ブランコ)は俳句の春の季語となり人々に親しまれていったらしい。

 

江戸時代の子供がブランコに乗る様子や、中国清代の女性が優雅にブランコ遊びをする絵を眺めながら私はつい先日、自分の母が観た『生きる LIVING』というイギリスの映画を思い出していた。

 

母がオリヴァー・ハーマナス監督、カズオ・イシグロ脚本のこの映画を観たのには次のような事情がある。

先週のことだが彼女と私は名古屋を訪れていた。私の娘夫婦との再会、まだ訪れたことのない名古屋旅行を指折り数えて楽しみにしていた母だったが、旅行の二日目にはすっかり疲れてしまったようで、地下鉄を乗り継いで熱田神宮を参拝し終わった頃には、なんだかいつもの元気がなくなってしまった。細身だが元気な母のことを過信して連れまわしたが、母はもうすぐ90歳だ。私は深く反省してこれ以上母を連れまわすことを断念した。

「予定を変更して、うちに来る?」と尋ねると母は「うん。そうさせてもらおうかな」とほっとした様子だった。

 

我が家に到着すると母はにわかに元気を取り戻し、洗濯物をたたんだり夕食の準備を手伝ったりとかいがいしく働き始める。名古屋城も娘夫婦と楽しんだ名古屋コーチンの夕食も楽しかったけれど、やっぱりうちでのんびりというのが一番ほっとするのだろう。

 

翌日、私は遠方に住む友人と電話で話さなければならない事情があり、またその次の日にあるフランス語のレッスンの宿題に少しも手を付けていなかったので、しばらく自室にこもらなければならないと母に告げた。そのことは嘘ではなかったのだけれど、娘の家とは言え、母からすれば勝手知ったる我が家ではなくべったり一緒ではお互いに息が詰まってしまうだろうというのも正直少しあった。

 

「映画でも観ている?」と聞きながら選んだのは昨年の今頃観た『生きる LIVING』という映画だった。

ノーベル賞作家のカズオ・イシグロが脚本を手掛けた映画であること、カズオ・イシグロは両親が日本人だが子供の頃イギリスに渡ったので英語を話すこと。彼は黒澤明監督の『生きる』という映画に感銘を受けてこの映画の脚本を試みたということを手短に説明して、日本語の字幕が出ることを確認してから、スタートボタンを押した。

 

しばらく付き添って映画を見る。舞台は1953年のロンドン。意図的に古い映像を使った手法がノスタルジーを誘う感じで良いなとあらためて思う。

テレビの前にちょこんと座り画面を見つめる母が退屈しないと良いけれどと思いながら居間を離れた。

 

全ての用事を終え、しばしベッドの上でのんびりと一人の時間を味わった後、階下に降りた。母は最初と同じ姿勢で、ちょこんとテレビの前に座っていた。ちょうど映画が終わりコマーシャルのようなものが流れていた。

 

久しぶりに映画をゆっくりと観たよと気に入ってくれたようで安堵した。最後にビル・ナイ演ずるウィリアムズ氏が公園のブランコに揺られながら静かに人生の幕を降ろすところは、黒澤明監督の『生きる』の主人公の亡くなり方と全く同じだと母は言った。彼女にとってはむしろ日本版オリジナルを観たときの感動が今でもはっきりと思い出されるという感じで、主演の人は誰だったかしら、とても有名な俳優さんだったんだけどなどと懐かしそうに言った。調べてみて志村喬さんだよと言うと「あのシーンは今も忘れられない。志村喬、そうそう、とても有名な俳優さんだった。」と感慨深げだった。

 

昨年『生きる LIVING』を観た後、黒澤監督の『生きる』も観ていたので、母と私は順番こそ違うが二つの映画をそれぞれ別のシチュエーションで鑑賞したことになる。

自分の残りの人生がわずかであることを知った時のとまどい、そしてむしろそれを知ったからこそ、大切なものに真摯に命を捧げる姿。そのような映画を母と共有できたことは、私にとって名古屋への旅行と同じくらい大切な思い出になることだろうと思った。

 

新聞の記事には次のように記されている。

(ブランコが)遊具として本格的に広まったのは戦後。1956年に公布された都市公園法では、児童公園はブランコ、滑り台、砂場を設置すべきだと定め、「公園の3種の神器と呼ばれた」

(2024年5月20日 日本経済新聞 夕刊)

 

黒澤監督の『生きる』は1952年公開。主人公の市役所の渡辺課長が残したブランコのある公園は戦後の子供たちが楽しそうに遊びまわる、そんな公園の先駆けとなったのかななどと想いを巡らせた。