Echoの日記

ゆっくりと言葉を綴る日々

もう一度だけパリオリンピック開会式のことを考えてみた

 

"Quoi de neuf?"( 何か変わったことは?)とフランス語のレッスンの冒頭に尋ねられるのが常である。

 

先週はとにかく暑く家でごそごそ家事をする他は、ほぼオリンピック観戦だった。

そのことを告げると、競技で印象に残っているのは?と聞かれ、咄嗟に男子バスケットボールの日本対フランス戦と、柔道の阿部詩選手の号泣シーンを挙げた。

 

先生はすかさず「僕が印象に残っているのはフランス競泳のマルシャン選手ですね。」と嬉しそうに言った。「何しろ二時間のうちに二つも金メダルをとるんですから。フランスのニューヒーローだよ」と満面の笑み。うん。それは良かったですね。と、心からのおめでとうを伝える。

 

「それと、オリンピック開会式を録画して翌日観たんですけど」と切り出してみた。

先日の記事で開会式の感想でとても良かったとさんざん書いたのだがその後、ネットなどではかなりの批判を集めてもいるらしい。

私はもちろんフランス人ではないしフランスの専門家でもないが、フランスが好きになってしまった一フランス語学習者として、パリオリンピックと、開会式をとても楽しみにしていたので正直、開会式の演出が問題になったりさまざまな事件事故が起こったことで、なんだか悲しい気分になってしまった。

 

気まずい話題だと迷わなくはなかったが、正直に自分の気持を伝えてみようかなと拙いフランス語で話し始める。

 

フランスが自国を紹介するのに、最も大切にしている「自由・平等・博愛(友愛)」をテーマにしたことは素晴らしいことだと思いますし、最初に開会式の演出を観たときにはかなり気に入りました。ただ、あとになって開会式に批判的な人の意見を聞くと、ああそうだったの~という気持ちにもなったり」というような感じのことをたどたどしくも伝えた。

 

正直なところ、マリー・アントワネットの幽閉されたコンシェルジュリーを覆う赤い煙幕と投げられた紙テープがおどろおどろしい血を表現しているとまで気が付かなかったし、最後の晩餐を模したとされる場面ではそのことすらわからず、なんだか変な青い裸のおじさんが出ていてこれは少し滑稽かもとポカーンと眺めていたのだった。

キリスト教になじみのない私には俄かには理解できなかったのでありキリスト教に親しんだ人になら誰にとってもピンとくるものだったのだろうか。私にはわからない。

 

 

コンシェルジュリーについては「フランス人の中にはあれ、ルイ16世にするべきでしょ。マリー・アントワネットはただ彼の奥さんだっただけだし、なんて言っている人もいますね。」とのこと。

そこでしょうか...という感もあるけれど、いずれにしろずいぶん物議を醸す開会式となったものだ。

 

他にも少し不躾ともとられかねないことをなるべく自分の真意が伝わるように、ていねいに話したつもりだがどこまでわかってもらえただろうか。少なくとも想像力を駆使してこういうことが言いたいのかなと理解しようと努めてくれた先生に感謝している。

 

最後に二人とも十二分に共感できたのはセリーヌ・ディオンの歌う「愛の讃歌」だった。

これは僕の個人的な感想ですがと前置きしたうえで先生は次のようにおっしゃった。

 

愛の讃歌」はエディット・ピアフがプロボクサーだった恋人を飛行機事故で失ったときに彼に捧げた歌なんだけど、開会式でセリーヌ・ディオンがあの歌を歌ったときも、ずいぶん年上だった彼女の最愛の夫が亡くなったときのことを思い出しながら歌っていたんだと思う。彼女の歌声は開会式の花火がなくても十分に素晴らしかった。

 

彼女の姿は私にも感動的だったし、開会式のあれこれはあったけれども、この点では私たちは温かい気持ちを共有することができた。

もちろん、「ところで、エディット・ピアフの方は恋多き女性だったそうですね」などという無粋な言葉にはそっと蓋をして、授業前の雑談の時間はおしまいとなった。