Echoの日記

ゆっくりと言葉を綴る日々

12月のまとめ

二か月近くブログを更新していなかった。

書こうかなと思うことが何度かあったのだがそれよりも優先していることがあり、なんだかタイミングを逸してしまった。

年の瀬も近くなってきたところで一度リセットと言うか、また気の向くままに書き始めるためにも、この二か月の間のことを簡単に記録しておこうかなと思った次第。

 

このところ何を優先していたのかと言うとフランス語学習で、ほぼ毎日1~2時間くらいではあるがフランス語の4技能(読む、書く、聴く、話す)の練習をしていた。

詳細はもう一つの語学ブログの方に書いたほうが良いのかもしれないが、11月に受験したフランス語検定2級の一次試験に合格したので、二次の面接対策をしていた。

一次の筆記試験は比較的余裕をもって合格したので二次の面接にも力が入る。

二次試験はフランス人一人と日本人一人の面接官を相手に完全に自由な会話形式の面接となる。内容は社会的なものと言うよりは、個人的なもので自分や家族、友人の紹介や日常生活、趣味などについての質疑応答が行われるようだ。

過去問を参考に一問につき自分なりの回答を5~6文のフランス語で書いた後、インターネットの添削機能を使い自然で正しい文章に直した後、それを覚えるというような練習を繰り返していた。

 

英検1級の二次試験対策をしていた時は、そこまで専門的ではないにしろ政治経済や、社会的な問題などが中心だったので、英語そのものだけでなくそれらに関する知識を深めなければならず苦しんだ。

それと比べると、今回は自分のことを語ることがほとんどなのでずっと楽だ。

 

とは言え自分の実力は文法、語彙、自然な言い回し、全てにおいてまだまだ不足している。準2級のときと同様試験当日は、かなり緊張するかもしれない。

でもとにかく伸びしろがあるぶん学ぶ楽しさを感じながらマイペースで学習を続ける日々だ。

 

上野の東京都美術館の「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」を訪れた。

ゴッホ展が「ひまわり」や「夜のカフェテラス」など有名な作品を揃えて巡回中だが、こちらの展覧会は作品としてはあまり知られていないものも多かった。

けれども私と、一緒に訪れた親友は最初からゴッホと彼の弟テオ、そして彼の妻のヨー、さらには彼らの息子フィンセントに至るまでの家族とゴッホとの絆について、ゆっくりと読み、一枚一枚の絵を見つめ、とても濃厚な時を過ごした。

 

 

たまたまなのだが原田マハの『たゆたえども沈まず』という本を読んでいて、それは画家になる前から破天荒な人生を歩み、精神を病んでしまったゴッホを自ら悩み苦しみながらも支え続けた弟テオとゴッホの物語なのだが、そのストーリーと「家族がつないだ画家の夢展」がリンクして本当にタイムリーだった。

 

ゴッホとテオの眠る墓地のあるオーヴェル=シュル=オワーズは以前住んでいたところから車で30分ほどのところだ。

長女が小学校一年生の頃クラスにYちゃんという女の子がいた。Yちゃんのお父さんはフランス人でお母さんは日本人。二人とも画家だった。Yちゃんは日本語も少し話せたので娘たちは大の仲良しになった。

 

ある日、Yちゃんの家に誘われた娘を夫と共に車で送ったときのこと、Yちゃんのお母さんが「このすぐ近くにゴッホのお墓があるんですよ。何もないところだけどお迎えにいらっしゃる前に行ってみます?」と教えてくれた。

Yちゃんの両親のアトリエは光のたくさん降り注ぐ明るい部屋で、イーゼルやキャンバスが無造作に置いてあり、おそらくYちゃんのお父さんが描いた宗教画のような小さなキリストの絵が立てかけてあった。

 

ゴッホが自ら命を絶つまで二か月ほど滞在したその場所は、本当に何もなく麦畑のような荒れた土地がずっと広がっていてカラスだったかほかの野鳥だっただろうか、それらがただ飛び交っているだけの寂しい場所だった。

 

ゴッホは確かに精神を病んでいたのかもしれないが、彼はとても一生懸命な人だったのではないかと思う。色々な職を転々とし、中でもキリスト教の伝道師としてベルギー南部の炭鉱都市で貧しい人々と共に暮らしたときは彼らを救うために自らの財産を全て投げ出しそのためにかえってその職を追われた。

恋愛にも一途だったし、画家を目指してからは画家たちとの共同生活に純粋な夢を抱いた。精神を患ってからはその病が癒えることを願い、自ら南仏サン・レミ・ド・プロヴァンスの療養所に入院した。

 

そして今回「画家の夢展」で胸を打たれたのはあの有名な「花咲くアーモンドの木の枝」の絵についてのエピソードだ。ゴッホは弟のテオに男児が生まれたことをことのほか喜びこの絵を弟に贈ったという。弟のテオもまた、息子に大好きな兄と同じフィンセント・ファン・ゴッホという名前を付けた。

ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」 イマーシブ・コーナーより

写真では少し暗いトーンの絵に見えるが実際のアーモンドの花の絵は、少しミルクが溶け込んだような可愛らしさのある水色の空に明るい色の花びらが一面に広がる、ゴッホが甥っ子に対して心からその誕生を祝福する気持ちが現れた素敵な絵だ。

 

この二か月の間には、親戚、家族に関する色々な出来事もあり現実から目をそむけたくなるようなこともあった。その一つ一つのことについても文章にしておきたいと思うこともあったが冒頭でも書いたようになんとなくそのタイミングを失ってしまった。

 

いったい、この世の中に何の悩みもトラブルもない幸せな家庭なんてどのくらいあるのだろうと思うことが時々ある。実際、私も自分に起こりつつある問題を誰にでもあからさまに打ち明けるわけではない。

 

フランス語学習は今更資格試験に合格したところで仕事に活かせるわけでもないだろうが、「好きなこと」に向き合えるという意味で気分転換を図ることができている。

あまり自分を追い詰めない程度に精進して前向きに生きていけたらいいなと思っている。